錦絵から温泉を見てみよう!
こんにちは!
12月に入りましたが、急に「冬ー!」って感じですよね。
皆さん、体調には気を付けてお過ごしください🥺
今回は錦絵から日本の温泉についてみていこうと思います。
01. はじめに
錦絵とは
錦絵は1765年に始まり、絹織物の綿のように美しいことから錦絵と呼ばれました。「江戸絵」とも呼ばれたそうです。
錦絵と浮世絵が混同しがちですが、錦絵は浮世絵の一種であり、多色刷りの木版画です。イメージとして「漫画がフルカラーになりました!」という感じです。
当時はカラー印刷の技術が発達していません。なぜ多色刷りできるようになったのかというと、版木に見当をつけたからです。
つまり、見当とは版木の右下隅と中央下にある突起で、これが目印となり、そこに合わせて擦ればずれませんよという話です。これにより、色版を重ねることができ、多色刷りできるようになったのです。現代でも、見当違いとか言いますよね。あの語源になっていると言われています。
あとは、丈夫な紙ができたのも多色刷りができるようになった要因として考えられます。
有名な人物
錦絵と言えば...鈴木春信!歴史の授業で覚えさせられたのではないでしょうか?
鈴木春信は錦絵を最初に作った人です。
春信がどれだけすごかったかというと、春信が売る錦絵は一般の錦絵に比べて約3倍のお値段がしました。わお。
上の錦絵は1767年に版行された錦絵、五常「智」。春信作。
右上に「智 道しある世に生まれなば、をのづから、ひとつをしらば、十もしらなん」とある。知恵、理解力、判断力を問う重要性を説いている。
02. 錦絵から温泉を知る
1591年、江戸時代に最初の銭湯ができました。江戸時代は水が貴重でした。水の無駄遣いやお風呂を自宅で沸かす燃料費をかけないように、基本的に全員銭湯に行っていたそうです。
これは幕末ごろに日本へやってきた外国人が銭湯の様子を描いた絵です。見ての通り、当時は混浴でした。更衣室は別でしたが、湯舟は同じでした。一見光が差し込んでおり、丸見えではないかと感じますが、本当は照明がなく、湯気もたっていたため、私たちが今見ているようにはっきりと見えていなかったらしいです。
これは1882年に豊原国周によって描かれました。よーく見ますと、絵の中に外国人が描かれています。ベルツ博士が来日、彼は温泉を研究し、『日本鉱泉論』を出しています。彼の影響で外国人が温泉を訪れるようになったのかもしれません。
左側の絵には奥に浴槽と滝湯があり、浴槽から階段を上がってくる女性とそれを待つ女性が描かれています。彼女がなにか口にひものようなものを咥えています。これは紅絹(もみ)といい、女性が体を洗うのに使うものです。
真ん中と右側の絵には歌舞音曲、碁をしている人がいます。銭湯は病を癒す効能以外にも娯楽施設的に使われていたのですね。
03. 最後に
いかがだったでしょうか。今回は錦絵を通して温泉について簡単にご紹介させていただきました。日本の昔の温泉事情は調べてみてとても興味深かったです!
今の温泉とは違いますが、このように錦絵として昔の温泉の姿が残り、このように私たちが芸術、アートとして鑑賞している点についてとても素晴らしいことだと考えております。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!